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福島地方裁判所 平成7年(レ)23号 判決

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  控訴の趣旨

原判決を取り消す。

被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

第二  事案の概要

一  当事者間に争いのない事実

次のとおり付加するほか、原判決「事実及び理由」中第二、一の「争いのない事実」記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

原判決二丁裏二行目の次に行を改め「さらに、被控訴人らは、本件土地について、控訴人を根抵当権者とする旨の担保提供承諾書及び根抵当権設定契約証書に署名した。」を加え、同面三行目中「とし、」を「(以下「貝沼」という)とし、平成五年一月六日受付の」に改め、また、同面六行目中「原告らは、」の下に「弁護士を通じ」を、同行中「被告」の下に「、加藤栄一(以下「加藤」という)、宅建通商及び貝沼」を加え、同行中「書面」を「内容証明郵便(以下「本件通知書」という)」に改め、同面七行目中「意思表示をし、」の下に「また、重大な錯誤に基づくもので無効であることを通知し、併せて、控訴人らに対し、同根抵当権設定登記手続を行わないよう、且つ平成五年一月一〇日限り、契約証書、不動産登記手続用委任状及び被控訴人両名の印鑑証明書原本を返却するよう要求し」を加え、同面八行目中「被告に」の下に「、平成四年一二月三〇日加藤及び貝沼に、平成五年一月四日宅建通商に」を加え、同行中「第六号証の」を「第四ないし第七号証の各」と改める。

二  争点

次のとおり付加するほか、原判決「事実及び理由」中第二、二の「争点」記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

1  原判決三丁表一〇行目の次に行を改め「4 被控訴人らと加藤との本件根抵当権設定登記申請手続委任契約の解除により、同登記申請時には、加藤の同登記申請の代理権は消滅していたもので、本件根抵当権設定登記は無効なものであるか(被控訴人らの再抗弁3)。」を加える。

2  控訴人の主張

(一) 被控訴人らは、本件根抵当権設定契約において、担保提供承諾書及び根抵当権設定契約証書に、その内容を認識した上で自らの意思により署名している。よって、本件根抵当権設定契約は有効に成立したものであり、控訴人が抹消登記手続をしなければならない理由はない。

(二) 仮に、本件根抵当権設定契約に被控訴人らの錯誤があったとしても、契約書の表紙には、「根抵当権設定契約証書」の文字が不動文字で印刷されていること(乙四)、被控訴人らは司法書士や控訴人の従業員から説明を受けていることなどに照らせば、被控訴人らには重過失が認められる。

(三) 被控訴人らは、司法書士加藤との本件根抵当権設定登記申請手続委任契約を解除したことから、本件登記手続は被控訴人らの意思に基づかない無効な登記であると主張するが、そもそも同委任契約は被控訴人らの意思のみで解除することはできないものであるから、被控訴人らの主張には理由がない。

3  被控訴人らの主張

(一) 被控訴人らは、本件売買契約以前には抵当権等の設定をしたことはなく、根抵当権の内容を十分に理解しておらず、本件根抵当権設定契約証書等の書類については本件売買契約に必要な書類であると誤信して署名したのであるから、被控訴人らの根抵当権設定の意思表示は錯誤に基づくもので無効であり、且つ、右誤信について被控訴人らに重過失はない。

(二) 被控訴人らは、控訴人の従業員らから、担保提供承諾書、本件根抵当権設定契約証書等の書類が本件売買契約締結に必要な書類であるという説明を受け、そのように誤信させられて同書類に署名するなどしたのであるから、本件根抵当権設定契約は詐欺に基づくもので取り消し得る契約である。そして、被控訴人らは、右契約を取り消す旨の意思表示をし、それは控訴人に到達した。

(三) 委任契約は、本来委任者が何時においても自由に解除しうるものであるところ、被控訴人らは、本件根抵当権設定契約は錯誤による無効あるいは詐欺に基づき取り消し得るものであることを通知して、本件根抵当権設定登記申請手続の委任契約を解除した。したがって、本件根抵当権設定登記申請手続は、被控訴人らの意思に基づかずになされたものである。

(四) よって、右(一)ないし(三)のいずれの理由によっても、控訴人は本件根抵当権設定登記名義を保持する権原はなく、被控訴人らに対してその抹消登記手続をしなければならない。

第三  争点に対する判断

一  争点1(本件根抵当権設定契約の成否)について

証拠(甲八、乙二ないし四、乙五の二、乙六の二)及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人らと控訴人との間に、平成四年一二月二八日、本件根抵当権設定契約の成立したことが認められる。

二  争点4(本件根抵当権設定登記委任契約の解除)について

1  証拠(甲一、二の各一、二、甲三、甲四ないし七の各一、二、甲八、甲九の一、二、甲一〇の一ないし五、甲一六、乙一ないし四、乙五、六の各一、二、乙七、乙八の一ないし四、いずれも原審における被控訴人丹治利美(一、二回)、被控訴人丹治豊昌、証人加藤栄一、証人田中明)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) 本件売買契約及び根抵当権設定契約に至る経緯

被控訴人丹治豊昌(以下「豊昌」という)、同丹治利美(以下「利美」という)は父子であるが、両名は農業を営み、被控訴人利美はそのかたわら電気店を経営している。両名とも本件売買契約及び根抵当権設定契約を締結するまでは、他人の債務について保証人になったことや抵当権を設定した経験はなく、根抵当権の意味について明確な理解を持っておらなかった。

平成四年一二月中旬ころ、被控訴人らは、訴外遠藤富司(以下「遠藤」という)を介して訴外宅建通商株式会社から本件土地の一部を買いたい旨の申込みを受け、あまり気乗りがしなかったので、一旦は断ったが、宅建通商代表者訴外吉田博雄(以下「吉田」という)から「損害賠償を請求するようになるかも知れない。」などと言われ、強く売買契約の締結を要請されたため、不承不承ながらこれに応じることとし、さらに「金の手配もしている。」などと年内の契約締結を求められたことから、同月二八日に被控訴人ら宅において本件売買契約を締結する運びとなった。

控訴人は金融業、不動産売買業等を目的とする会社であるが、同月二三日、控訴人の会長代理と称して控訴人に客を斡旋するなどしていた訴外後藤忍(以下「後藤」という)から控訴人の営業主任である訴外田中明(以下「田中」という)に対して、宅建通商と貝沼が共同で本件土地を開発し販売するので、貝沼に造成資金三〇〇〇万円を貸してもらいたい、右貸付については被控訴人らが本件土地を担保提供することを承諾している旨の申し入れがあった。控訴人は、本件土地の担保価値が十分あると判断して融資を決め、田中において、控訴人と貝沼との間の三〇〇〇万円の金銭消費賃借契約証書を作成し、併せて控訴人と被控訴人らとの根抵当権設定契約証書、担保提供承諾書を用意した。

しかしながら、被控訴人らは、本件根抵当権設定契約については控訴人及び貝沼から何ら説明を受けていなかったし、この点に関する交渉もしておらない。そもそも被控訴人らにおいては、貝沼なる人物が介在していることさえ知らされていなかった。

(二) 本件売買契約及び根抵当権設定契約時の状況

平成四年一二月二八日午前九時ころ、遠藤、吉田、訴外紺野某(以下「紺野」という)、後藤、田中の五名が被控訴人ら宅に集った。被控訴人らと田中はこの時が初対面であった。また、貝沼は、後藤、田中と被控訴人ら宅前まで同行したが、そのまま加藤を迎えに行った。

まず、被控訴人らは手付金支払の確約を求めた上、本件売買契約書及び農地法五条の規定による許可申請書、地区除外申請書に順次署名押印した(ただし、後二者については被控訴人利美のみ)。

引き続き、田中が自ら用意してきた本件根抵当権設定契約証書、担保提供承諾書を取り出し、被控訴人らに対して、これらへの署名押印を求めた。田中らは、法務局が同日午後は登記申請を受け付けないことから被控訴人らに署名押印を急がせた。被控訴人らは、根抵当権設定の意味を明確に認識しておらず、田中らに気圧される雰囲気の中で、不透明感に包まれながら文書の意味内容を十分確認しないままに住所を記入し、署名した。押印については、田中が「実印は私が押しますから。」と言って被控訴人らから実印を預かりその場で押捺した。本件根抵当権設定契約証書中の極度額欄には、田中の指示で同人が下書きしておいた上に、被控訴人利美が「五阡萬」と記入した。

これらの書類の署名押印が終わった午前一〇時ころ、貝沼から本件根抵当権設定登記の申請手続の依頼を受けていた司法書士の加藤が貝沼の案内で被控訴人ら宅を訪れた。そして、貝沼は家の中へは入らないで加藤一人が被控訴人ら宅に入り、田中からその設定契約証書等を預かり、用意してきた根抵当権設定登記手続用の委任状に被控訴人らの署名押印を受け、物件の確認をした。その結果、被控訴人豊昌所有の本件(1)及び(2)の土地につき登記済権利証が手元になかったことに気付き、保証書をもって権利証に代えることにし、その保証書を作成してもらうために、加藤、田中、被控訴人豊昌の三名が午前一一時ころ、同被控訴人の知り合いである佐藤盛雄司法書士事務所に赴き、保証書を作成してもらった。そして、右三名が被控訴人ら宅に戻ったところで被控訴人らは売買契約の手付金三〇〇万円を受領した。

以下の経緯を通じて、担保提供の受益者であるはずの貝沼は、被控訴人らの面前に姿を現すことがなく、加藤を除く田中、後藤、吉田ら関係者五名がこのことに疑問を抱いていた形跡はない。これは、右関係者五名及び貝沼が意を通じて、敢えて被控訴人らが貝沼と面接しないように謀ったものと推認される。

なお、この点につき、控訴人は、被控訴人らに対して、本件根抵当権設定の意味、極度額の意味、債務者が貝沼であることなどを十分に時間をかけて説明し、被控訴人らは売買契約書のみならず根抵当権設定契約証書の作成時においても各書類を十分に検討する時間があり、またそれをなし得た旨主張し、原審証人田中及び同加藤の各証言中には右主張に沿う部分があるが、右供述部分は、到底信用することができない。すなわち、被控訴人らが、面識のない貝沼なる人物のために極度額五〇〇〇万円の信用取引をするために根抵当権を設定する話は、当日初めて披露された突然の要請であったと認められることは前示のとおりであり、本件各証拠を検討しても、被控訴人においてこれを承諾するに至った動機について得心できる具体的事情は顕れて来ないし、さらにその承諾を得るに至る過程についても、例えば将来被控訴人らに何かそれなりの見返りの利益を与えることを条件に担保提供を説得するなど、相当の交渉が必要だったと思われるのに、そのような交渉を行った形跡が全くないし、担保提供の受益者である債務者の貝沼が、加藤司法書士を被控訴人ら宅にまで案内して来ながらも、担保提供者である被控訴人と対面することをことさら回避するが如き行動に及び、結局、被控訴人らに挨拶ひとつしないままに終始したこと、根抵当権設定契約証書等は、加藤が被控訴人ら宅へ来る前に既に作成済みの状態だったが、本件土地の一部の権利証の欠けていることには、加藤が来てから初めて気付いたのであり、それまでは、宅建通商や控訴人は、登記を年内に済ましてしまおうとかなり急いでいたことが窺われること、後に説示するとおり、被控訴人らは、翌日から根抵当権設定契約を解消するために奔走することになるが、根抵当権設定について十分な説明を聞き納得していたとするならばその直後に翻意するというのは如何にも不自然であることなどに照らすと、前示各証言のうち、前示認定に反する部分は信用することができない。

(三) 本件各契約後の状況

被控訴人利美は、契約後、署名捺印した書類の中に記載されていた「根抵当」「極限額」という言葉の意味がよく分からなかったことや、加藤が書類の預り証を置いて行かなかったことを不審に思ったこともあって、事情を確認しようと同日夜に加藤及び吉田に電話をしたが、いずれも連絡が取れなかったことから、一層不安を募らせた。

翌二九日、被控訴人らは、弁護士に相談に行き、その際加藤から書類をファックスで取り寄せた弁護士から説明を受け、貝沼という面識のない人物の貸金債務について根抵当権設定契約を締結しているとの事の次第を明確に認識した。そこで、被控訴人らは、加藤に電話で関係書類の返還を申し入れたが、同人に断られたため、右弁護士に依頼して、本件通知書を加藤、貝沼、宅建通商及び控訴人に差し出し、これらは、それぞれ前示の年月日に到達した。

被控訴人らは、さらに、弁護士に関係書類の返還を催促してくれるように依頼するとともに、自ら加藤に関係書類の返還を申し入れたが断られた。加藤は、書類の返還を拒否したものの、被控訴人らに対し、平成四年一二月二九日の電話時及び平成五年一月五日の被控訴人らの事務所来訪時に、「本件根抵当権設定登記手続は事件性があるので進めない。」と約束し、田中に対してもその旨を告げていた。ところが、加藤は、控訴人から「金が動いているのだから登記をしてくれなければ困る。」と登記手続の催促を受け、同月六日本件根抵当権設定登記申請手続を行った。

2  本件通知書のうち、加藤に対するものは、被控訴人らの本件根抵当権設定登記申請手続委任契約を解除する旨の意思表示と解することができる。

本件のように登記手続の両当事者(登記権利者及び登記義務者)が、その基本契約に基づき同一の司法書士に手続を委任した場合には、各当事者は、通常、登記手続が支障なく行われることによってその基本契約が履行されることを期待しているものであるから、登記義務者と司法書士の委任契約は、登記権利者の利益をも目的としていると解すべきであり、このような場合には、その委任契約は、契約の性質上、民法六五一条一項の規定にもかかわらず、登記権利者の同意等特段の事情のない限り、解除することができないものと解するのが相当であるから、本件において、右のような特段の事情が存在したかを検討する。

前示の事実によれば、被控訴人らは、本件契約当日に同契約に不審を覚え、不安を感じて、翌日には弁護士に相談し、当該弁護士に委任して、同日中に加藤らに対し、本件通知書を送付し、同通知書が前示のとおりの時日に到達していること、加藤も事件性のある根抵当権設定契約であることを認識し、他方、登記権利者である控訴人も加藤を通じるなどして、これらの事情を十分認識していたが、なおも、本件登記手続を強行したことなどの事情が認められ、これら委任契約解除の時日、理由、手続の状況及び登記権利者の利益に加え、根抵当権設定契約に至る過程、契約時の状況に照らせば、本件においては、登記権利者は、登記手続が支障なく行われることを期待できない事情が存したといえるから、登記義務者である被控訴人らの解除を認める特段の事情が存在するものと解される。

したがって、被控訴人らの解除は民法六五一条一項の解除として有効である。

3  そして、右設定登記委任契約が有効に解除された以上、加藤の本件根抵当権設定登記申請手続についての代理権は消滅したことになるから、代理権なくして加藤がなした平成五年一月六日の本件根抵当権設定登記には手続上の瑕疵があることになる。

そこで、更に、この瑕疵が登記手続を無効としなければならないほどの重大なものであるかどうかについて判断すると、前示諸般の事情を総合して検討すれば、本件は、登記権利者において、全く相手方たる登記義務者の意思に基づかずに、且つ登記義務者の側には広義における帰責事由も全く認められないような状況のもとで、専ら自己の側の発意によって登記を申請して登記を得たというような手続上の瑕疵の最も重い場合にも比肩すべき事案(被控訴人らは、本件登記設定契約直後に、弁護士を通じて、本件登記を未然に防ぐためにできるだけの措置を講じており、これにより自らの責を挽回したものと評価すべきである。)に該当すると認められ、登記手続を有効とすることはできないものと解すべきである。

第四  結論

以上によれば、当裁判所の判断と結論を同じくする原判決は相当であり、その余の点を判断するまでもなく本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用は民事訴訟法九五条、八九条を適用して控訴人に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 木原幹郎 裁判官 林美穂 裁判官 野口佳子)

別紙物件目録

(1) 所在 福島県安達郡安達町油井字日向山

地番 八番一

地目 山林

地積 二二八五五平方メートル

(2) 所在 福島県安達郡安達町油井字日向山

地番 二一番

地目 雑種地

地積 四〇五平方メートル

(3) 所在 福島県安達郡安達町油井字日向山

地番 一五番一

地目 畑

地積 二一一九平方メートル

(4) 所在 福島県安達郡安達町油井字日向山

地番 一五番一八

地目 雑種地

地積 八八三平方メートル

登記目録

受付 平成五年一月六日第六七号

原因 平成四年一二月二八日設定

極度額 金五〇〇〇万円

債権の範囲 証書貸付取引、手形割引取引、手形貸付取引、手形債権、小切手債権

債務者 福島県西白河郡矢吹町一本木一八番地三

貝沼宣行

根抵当権者 控訴人

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